アラベスク・オリジナル・ミシェーラ・ローズ

Arabesque original Michaela Rose

【18/10/19 更新】 – 2017年夏、ミシェーラら現メンバーは(アラベスクとしての一切の営業権をドイツの旧事務所から買い取った)後述のロシア人代理人の下に移籍し、グループ名が微妙に変更されましたので、タイトル名と画像を差替えました。

【10/10/13 更新】 – 遅まきながら、ドイツで今年4月に出た(旧Arabesqueの)東京ライブCDにボーナストラックとして付いた「上を向いてあるこう」。かつてのキャンディPOPではなく、ユーロビート風な佳曲に仕上がってます。【更新 ここまで】

marigot-bay-2008

セルフカバー 『哀愁のマリゴット2008』

【09/03/10 更新】 – 昨08年10月、現ユニットでは“デビュー”CDとなる『Marigot Bay(旧邦題:哀愁のマリゴット) 2008』をリリースしました。旧ユニットのセルフ・カバーで、さすがに話題性には欠けますね。【更新 ここまで】

====== オリジナル・テキスト ======

もともとは’70年代の日本で『ハロー・ミスター・モンキー』(from ビクターレコード)というディスコ・ナンバーを大ヒットさせた、西ドイツ出身の女性3人組POPヴォーカル・グループです。80年代半ばまで、(本国以上に)アジアや東欧で結構なレコードセールスを上げ、日本でも二度ほど主要都市ツアー公演を行いましたが84年には(リードvo=サンドラ嬢のソロ・デビューを受け)自然解散※…。
※註:しばらくは、残ったふたり=ミシェーラ+ジャスミンのデュオ・ユニット《ルージュ》にて活動。

で、それから20年余のブランクを経て再結成されたのが、この《アラベスク・フューチャリング・ミシェーラ》なのでありまして、今年秋ごろには?来日するとかしないとか。。。
k1364756211

今また《アラベスク》プロジェクトが動き出した直接のきっかけは、ロシアのTV企画筋からの“再公演要請” ── 。

《アラベスク》結成当初からの(唯一の)オリジナル・メンバーであるミシェーラ・ローズ(ちなみにこの名前、ドイツ読みなら間違いなく「ミヒャエラ」が正しいのですが、日本じゃ最初に誤訳表記したビクターさんの愚を引きずって(^^;、これまで一度もそう記述されたことがありません。お気の毒なことです…|Michaela Rose)は2006年、他のメンバーふたりに活動再開を呼びかけるも、サンドラはソロ活動に専念したいから、と古巣への合流には難色。すでに芸能界を引退していたジャスミンは、業界に復帰する意志を示しませんでした。そこでミシェーラの新事務所が急きょ、彼女らに代わるメンバーを募り、新たにサビーネ(Sabine Kaemper)とシルク(Silke Brauner)のふたりを加えての「新装&再出発」となったのです。

人選には見た目の釣り合い(身長や髪の色など)だけでなく、年齢差も開かぬよう考慮されています。かつてのサンドラに代ってセンターに「立ち位置」を移したミシェーラは、(メンバー3人の中で一番華奢な体格だった)以前とは様変わり。中年レディの威厳と色気で“恰幅のよさ”を見せつけます。そうした意味でも、(当時もてはやされた)「キャンディー・ポップ」型のアイドル・ユニットとは別の顔を持った《新・アラベスク》の誕生です。

今のところ彼女たちの公演活動は、モスクワや旧東欧諸国からの引き合いが主。呼ばれると3人で出かけてゆき、以前の音源を背にクチパクで踊る、といったスポット営業が中心みたい。さすがに新作(曲なりVideoなり)を制作するところまでは(^^;行ってないように思われます。その意味では、“懐メロ行事”専門のアトラクション芸人の域を出ず、限定的な“活動再開”にとどまっている、と言えそうですね。また華やかなステージに戻るから、といってメジャーレーベルに返り咲くワケでもないのだから、作品リリースを続けるSandra Cretu が再参加に乗り気でなかったのは、それはそれで「ワカる」気がします(^^;

【関連動画】 ロシアTVによるサンドラ・インタビュー↓ 40代までスリムだった彼女も、ここ2~3年で”ふくよか”になられましたねえ。


まさかの!? 電撃ロシア移籍劇(2017年)


2017年5月、メンバー再結成とその後のロシア出張ステージを後押ししてきた音楽事務所レインボー・エンタテインメント(※日本、デンマーク、ノルウェー等にも同名の芸能事務所があるが、すべて無関係な別会社である)は突如、何の前触れもなく《アラベスク・ウィズ・ジャスミン・フェッター|Arabesque with Jasmin Vetter》の結成を宣言。センターがミシェーラに代わり、ジャスミン・フェッターとなる旨の告知を公式サイト(当時)に告知しました。さらには「ミシェーラ緊急降板」の確定を印象づけるような、ジャスミンと他の従来メンバー二人とのスチル・ショットすら掲載されたのです。ミシェーラと事務所の間に何か、きわめて深刻なトラブルが生じていたことは想像に難くありません。

が、その僅か数か月後……。

ミシェーラ・ローズの「代理人」を新たに名乗るロシア人女性、オルガ・スヴィリードワ氏がレインボー・エンタテインメントとの示談交渉に臨み、ナンと一転、《アラベスク》に関わる全商業権を買い取ってしまいました。この美女マネージャー、スヴィリードワ女史の潤沢な資金源については謎に包まれています。そも、ロシアの放送音楽業界は半ば官営とも言えるエネルギー企業連合に牛耳られていて、そのFM放送網主催のPOP”旧西側”音楽コンサートにヨーロッパの懐かし系アーチストを招聘する交渉人として、しばしば彼女の姿が目撃されてきました。何せ女史の(公の)肩書は、英語・フランス語・ドイツ語に堪能な「語学スペシャリスト」なのです…!

オルガ・スヴィリードワ

謎の新マネ、オルガ・スヴィリードワ

となれば彼女の”裏の素顔”は、大手放送局のトップ=エネルギー業界の重鎮の意向や指図を受けては入出国し、招聘コンサートのキャスティングを補佐している「良く言えば文化外交官、悪く言えば芸能ブローカー」、なのかも? しれません。スヴィリードワ氏は他にも、ドイツのお隣オーストリア出身の80年代ポップ・グループ《JOY》のマネジメント権も「奪い買い」。手中に収めた過去があります。

いずれにせよ、とどのつまり《アラベスク》名義でのアーチスト興行は(法的に)出来なくなった古巣のRE社───勇んで芸能界に復帰してきたジャスミンではありましたが急きょ、《ジャスミン・フェッター(元アラベスク)》というアーチスト名に呼び替えられ、目立った再活動は報告されていません。2018年11月には、さらに《JASMIN VETTER OF ARABESQUE AND THE CITYCATS》へと再改称してるようです。

かつての仲間ミシェーラは、ジャスミンより(再結成以後10年に渡る付き合いの)新メンバーふたりを選んだワケで、この騒動を通し両者(←もともと不仲になっていた可能性が濃厚ですが)の訣別は決定的なモノとなりました。往時の《アラベスク》ファンには少なからず哀しい展開だと言えましょうか…。

ジャスミンとミシェーラの確執

一時はセンターの座を追われた?かに見えたミシェーラだった【写真上】が、不死鳥のごとく返り咲いた【同下】。

新生アラベスクの「抜けた」RE社の今は、『誘惑のブギー』の一発屋デュオ こと、《バカラ|Baccara》の国外向けプロモ活動メインに傾注してる?よーな格好。そのバカラは2008年、オリジナル・ユニットのリード役マイテが新人の相方パロマと組み、新録アルバムをリリースして本格的に再始動していました。

バカラ Baccara

新生《バカラ》、左がMayte Mateos。

もっとも、ここでも一番好意的に出張ライブを発注してくるのはロシア放送業界で、(この調子だと)いつまで本国ドイツでマネジメント権を握ってられるか?は予断を許しません(苦笑)。

【外部リンク】
新たなロシア代理人の下での↓新・公式サイト

 現アラベスクの公式サイト www.arabesque-music.com

コメントを残す